今日は、杉並区立塚山公園に行き、塚山遺跡を見てから、下高井戸八幡神社に寄ってから帰りました。
そもそも発端は §
ここしばらの暑さにやられたのか、身体がへたばってました。暑さが少し収まった時になって、疲れがドッと出てくる感じですね。その他、サーバトラブルなどの意図せざる苦労も山盛り。
というわけで、本来なら昨日、癌研に父を見舞いに行った帰りに飛鳥山方面で紙の博物館などを見ても良かったわけですが。それもできず。
今日は、どこかに行こうと思ったのですが。突然、母が交通事故。大したことは無いようなのですが、それでもあとから変な症状がでても怖いし。あまり長時間の遠出をしないことを決断しました。
では、長時間の遠出をしないで行ける場所があるのか。
実はとっておきの場所が1つあるのです。
それが、杉並区立塚山公園であり、そこにある塚山遺跡だったのです。
杉並区立塚山公園 §
小中学生の時代、このあたりは自転車行動圏内だったような気がします。神田川沿いは、サイクリングロードが整備されていて、格好の移動経路でした。しかし、この公園についての記憶はありません。小中学生の時代には無かったものかもしれません。どうも、公園を作ろうとして掘ったら遺跡が出てきたような話もしていましたので。
塚山遺跡 §
とりあえず目立つのがこの模造建築物。
形がそれっぽいだけで、素材は違っていて、完全再現した建物というわけではありません。しかし、内部は教育的に当時の建物内を再現したものになっていて、ボタンを押すと解説を聞くことができます。
縄文時代中期の住居跡(複製)というのもありました。
その他、水飲み場などもなかなかしゃれっ気のある形をしていますね。
そして、うっかり見落としそうになったのがこの事務所です。
この中に集落の1/100模型や、模造土器などが展示されています。見学の価値ありです。
気になる記述 §
さて、帰りは神田川沿いに徒歩で帰ろうと思いました。
しかし、鎌倉橋のところに、こんな看板が立てられていました。
読んでいてハッとしたのは、「長禄元年(一四五七)、太田道潅が江戸城を築く際、工事の安全を願い、家臣に命じて下高井戸八幡神社を建立させ」の部分です。
下高井戸八幡神社といえば、小学生の頃は、秋のお祭りに店がたくさん出ていて遊びに行く場所でした。子供心にぜひ欲しいレアな凄いプラモなどを並べた店があったりするものの、ゲームやクジで当てないと手に入らないもので、そういう良いものを手に入れた記憶はありません。そのようなわけで、子供っぽいつまらない場所、という印象が残る場所でした。それが、実は太田道潅ゆかり!? なにせ、家康が来る前の関東、江戸事情は特に興味のあるテーマですが、まさか、あの子供時代に何度も行った下高井戸八幡神社が、そのような場所であったとは、驚き桃の木山椒の木。
下高井戸八幡神社 §
というわけで、帰りに立ち寄ってきました。
お賽銭も入れてきました。
正しい参拝の方法を説明する板も出ていましたが、見えにくく、どうも私の理解と違うことを書いているような気もしたので、非常にいい加減に済ませてきました (汗。
子供時代の記憶と違って、比較的小さく立派な神社に見えました。